二浪して大学に入った1980年から1981年ごろだったか、ロック好きの友人にRCサクセションが流行始めていた。たしか絶版になったアルバム「シングルマン」の再発署名運動が起きていたのかな。ライブハウスは満員で、1000人ぐらいの講堂などでのコンサートに移り始めていた時期だった。
久保講堂でのライブLP「RHAPSODY」とか、「トランジスタ・ラジオ」とか、再発された「シングルマン」とかは良く聴いた。そんな中、日比谷野外音楽堂でのライブ公演に行った。観客は大ノリ。「ブン・ブン・ブン」とかでは、清志郎がコスチュームの派手な腕輪で、手錠で縛られるしぐさをすると、常連の観客たちも同じしぐさ。とにかく大盛り上がりの楽しいコンサートだった。
しかし、よく聴いていたのはアルバム「PLEASE」あたりまでで、「BLUE」あたりからはだんだん遠ざかっていった。「シングルマン」から「PLEASE」あたりまでは、若くて金もなく、みじめな気分の若者の気持ちを代弁する、哀愁に満ちた等身大の曲が多かった。それが、「BLUE」あたりからは、成功したミュージシャンの色の強い歌詞が多くなったためだ。
もう一つある。そのころは「他人と違うものが好き」というのが重要だった。人気が出るまでの忌野清志郎、RCサクセションは、一部のマニア受けするロックバンドだった(その前はフォークバンドだったけど)。それが、坂本龍一とシングルを作るような普通の人でも知っているポップスターになってしまったのだ。
それは私だけでない。周りのロック好き、特にパンク、ニューウェーブ好きにもRC好きがたくさんいたけど、皆いっせいに「RCなんて!」なーんて言い出した記憶がある。
その後、遠ざかっていたけど、20年ほど前のザ・タイマーズとかはなかなか面白く、その後のソロプロジェクト、忌野清志郎&ニーサンズを見に1993年ごろ日清パワーステーションに行った。それはそれなりに面白かったけど、繰り返して見に行くという感じではなかった。
6、7年前から再び、清志郎の姿を雑誌でよく見るようになった。でも音楽雑誌ではなく自転車雑誌。もう彼のコンサートに行きたいという感じでもなく、昔好きだったミュージシャンがロード自転車に乗って、よく雑誌に出ているだけであった。
良く考えるとRCサクセションは、LPはまったくもっていないし、CDもほとんどもっていない。当時は金がなく、友人や貸しレコードやから借りてきたLPをカセットテープにダビングしていた。ただ3年後ほど前、図書館でRCサクセションのCDボックスを借りた。清志郎の死をきっかけに久しぶりにiTuneに入っているアルバムを聴くとショックを受ける。まず、「トランジスタ・ラジオ」で涙が出そうになり、「ブン・ブン・ブン」のノリノリにショック。「スロー・バラード」で再び涙が…。
こだわりもわだかまりもなくなり、若くて金のない惨めな若者でもなくなり、五十近くの今聴くと、それはそれは素晴らしいソウル系ロックンロールだった。あああ、清志郎、RCサクセションありがとう。そして、さようなら清志郎。
最近のコメント