容赦のない時代感覚
前に書いたように、『告白』は私のツボにはまった映画だった。しかし、ミキさんのブログを見ると、この映画の捉え方に大きな違いがあった。
この映画は荒廃した学校現場で愛娘を殺された女教師の復讐の物語だ。その内容も、教育、更正、反省、悔い、許し、思いやりなどを排除した、まるでゲーム感覚の復讐もののようにみえる。インディアンをバンバン撃ち殺す西部劇、抗争相手切りまくるヤクザ映画、犯罪者を撃まくる昔の刑事ドラマのような感じ。ただし、被害者、加害者の心理はそれなりに描いてはいる。
私はこの映画を、荒唐無稽なおとぎ話と捉え楽しんだ気がする。例えば、『スターウォーズ』、市川雷蔵の『好色一代男』みたいなノリだ。これを架空の娯楽作品、おとぎ話ではなく、現実の世界のドラマとして捉えたとしたら、女教師の心理、生徒の心理・行動には疑念や矛盾を感じるところは多い。その意味でも非現実的な感覚が強い作品だった。また、最後の「なぁ~んてね」という言葉も、単純な娯楽作品なのに、とってつけたような陳腐で教訓的なエンディングを持つ多くの作品への反旗として受け入れられた。
しかしだ、見ようによっては『セブン』と同じぐらい不快な話を、なぜ私は娯楽作品、痛快な復讐劇として楽しめたのだろうか? そして、和解や相互理解、他者への思いやりを排除したこの映画はヒットした。それはなぜなのだろうか?
これが正解という自信はないが、世のムード、雰囲気が大きいのではないか。この10年、共有感覚の喪失、自己権利の過剰主張の流れがある。と、同時に、他者への容赦のない仕打ち、犯罪に対する厳罰化、ちょっとした小悪党に対する一億総バッシングなどが目立つ。尖閣諸島侵犯に対する世論の過剰反応などもその流れで捉えることもできる。自らを絶対的な善とし、そうでない瑕疵、過失のあるものを全否定する思考だ。
このような感覚が社会全体で強くなっていることと、この映画のヒットとの関連を感じる。そしてこれを単純に楽しめてしまった私も、その感覚に囚われてしまっているのだろう。
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コメント
この20年ほど深刻にさせられてしまうような映画は避けているのでこの映画も見ていないのですが,他にない指摘でなるほどと思いました。実写版宇宙戦艦ヤマトも,敵側の事情を廃し敵味方の交流を省いた筋になったようですし,しかしそれでは正義と銘打った暴力,つまりテロリズムではないかとの評も目にしました。
そういったものをひとからげにして戦前の日本国内のムードに似ていると言う人もいますね。
投稿: munetc | 2011/01/25 11:22
MuNet/Cさん、お久しぶり。
戦前とは違うかも知れないけれど、単純化、排他的、国粋的なムードが強まっていることだけは、肌で実感する今日この頃です。世の閉塞感がなんらかの突破口を求めていて、既存の政治・社会システムがそれに応えられなければ、さらに過激な方向に進みそうで怖いです。
投稿: ひゅ~ず | 2011/01/25 20:41