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2008/12/14

映画:未来を写した子どもたち

映画:未来を写した子供たち

★★★★★
 インド・カルカッタの売春窟に生まれ育った子供たちに、写真を撮ることを教える女性写真家。その活動をとおして、子供たち自身が変わっていく姿、子供たちの境遇を変えようと努力する女性写真家の姿を描く。
 お薦めの映画です。シネスイッチ銀座での上映は12/26まで、他にも全国でやっているようです。皆様ぜひ! 公式サイトはこちら

 写真教室を開き子供たちに写真を教えるZana Briskiの試みは、最初はちょっとした偶然で始まったものなのだろうが、彼女はそれを徹底的に推し進める。元もと子供と深く関わらなくてはできない取材・撮影であったが、もう単なる取材者の立場を大きく逸脱しコミットしていく。それを明確に「私はこの子供たちの将来に関わる」と意思表示しての行動なので、ドキュメンタリーとしての違和感はない。当初から客観的な取材という立場ではない取材なのだから…。とにかくインド・カルカッタのような混沌とし、遅々としてなにも進まない国と街の中でのその推進力、パワーには頭が下がるし、目頭が熱くなる。
 また、途中でZanaが助けを求めたボランティア団体の対応にも驚く。彼女が緊急に対応が必要な子供について説明して助けを求めたとき、相手は「わかりました、5分待ってください」と答える。おそらくその5分で他のスタッフと相談し結論を出すのだろう。即断即決、その対応の早さに単純に感動する。
 彼女が行っていたのは、単なる施しではないかたちの援助だ。子供たち自身が写真を撮り、その中に芸術的価値を見出して売り、その収益を子供たちを助けるための原資にする。ニューヨークの展覧会のビデオを子供に見せ、カルカッタの書店での展覧会につれて行く。自分たちのやっている「撮影」=「遊び」が人びとに評価されて、お金に変わり自分たちを助ける。周りの大人に邪魔者扱いされ、怒鳴られ、働かされ、自分を見いだせない子供たちの自尊心を育てる。
 子供たちの写真自体も良い。街角の人々、その生き生きとした営みを捉えてる。被写体との濃密な関係がなければ撮れない写真がたくさん。動きがありダイナミック。こんな写真、今の私には撮れない。また発想が斬新だ。海に行きはしゃぎながら写真を撮るが、アヴィジットは左手で持ち上げたバケツからこぼれ落ちる水と遠景で遊ぶ子供たちをカメラに収める。なんの制約もない創造性ってすごい。

 映画のなかで紹介された写真で一番好きなのは、空色の壁をバックに立つ髪に薄緑の布を巻いた少女のポートレート「Girl on roof」(ここからダウンロードできるようです)。しかしこの写真を撮ったスチートラは、映画の最後の紹介では叔母の指示に従い売春を始めていることが示唆されていた。結局、8人の子供たちのうちしっかり学校に行き続けてるのは4人。3人の女の子は全寮制の学校に入ったが2人は退学して親の元に戻り、1人の男の子は親の反対で進学できない。これだけ徹底的なサポート受けながらこの結果に、状況の厳しさを感じる。さらに映画で紹介されたのは8人だけ。8人の裏にはまだたくさんの子供たちがいるし、世界全体を見れば膨大だ。不幸なのは子供たちだけでもない。もし、この8人の子たちが全員救われたとしても免罪符にはならない。ただ、自分のかかわった子供たちだけでもなんとかしようと必至に努力するZanaの姿には心を打たれる。

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