U2を聴きながら「ロックは世界を変えられるか」論争を想う
70年代後半、「ロック(音楽)は世界を変えられるか」という論争があった。世のロックファン一般のなかでも熱心に話されていたと思うけれど、それに影響を受けた私の周りでは確実にあった。
当時は、1960年代のカウンターカルチャー、1970年代前半のヒッピー文化というロック音楽にかかわりが強く、社会の変革も試みたムーブメントが廃れた時期だった
前の世代が「ロック、ドラッグ、フリーセックス、コミューンで世界を変える」と夢想していたものが瓦解した時代、、、いや前の時代がそう夢想していたと思っていたのは次の世代の私たちだけなのかもしれない。でも、世代、反体制と密接に関係していたロック文化が衰退時期にあったのは確かだ。隆盛を誇ってたのが商業ロックたるオールドウェーブ、、、レッド・ツェッペリンやディープパープル、ロッド・スチュアートとかだった。だからこそ、そこの対岸にいたパンク・ニューウェーブが人気を得て、さらに過激なハードコアパンクのクラスやディスチャージが魅力的に映った。
そのようなことを山ほど友だちと討論した。今思えば、ロック、音楽も時代の中の一部、時代を映す鏡で、それ以上それ以下でもない。時代を映した音と詩を表現するあまたのバンドから、世代がその曲を選んでいた。そしてその曲自体の表現するものが時代にも影響を与えていた。相互の関係だったのだ。一方的にロックが主体的に時代を変えるなんていうことはない。それは小説でも詩でも同様だと思う。そんなことを延々討論していた私たちは皆、十代末の頭でっかちだったのだ。
でも今、U2、ボノの生き方、あり方を見て思う。問題意識を持ち続け、それを表現し続けるとともに、ツェッペリンみたいな巨大なお金持ちロックバンドになったU2。しかし、世間と隔絶し自分たちの世界に閉じこもり、金持ちを謳歌する感じにはなっていない。それを代表しているのはボノだ。有名になり、社会的地位を築いた後、それを使ってアフリカでのエイズ対策や貧困問題の解決に全力で打ち込んでいる。
今、十代の頭でっかちだったころの論争を振り返ってみると、当時出した結論も少し違ったような気がする。ロックを道具ににして世を変えようと試みて一定の結果を出しているミュージシャンは既に現実にいる。70年代前半の敗北を経た70年代末から80年代頭の虚無の時代に、U2がデビューしたことにある種の必然を感じる。
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コメント
クラスやディスチャージなんてひさしぶりに名前を聞きました。僕も高校生のころ、ジャムからだんだんと過激に走って輸入盤を探し回りました。そういえば最近、あの渋谷陽一がオピニオン雑誌をやっていて、変に老成せずにまだまだ理想を追っている感じでうれしかったです。
投稿: あゆむ | 2008/03/19 16:06
あゆむさん、こんにちは。先日の沖縄旅行の最中、国際通りの歩行者天国で、当時の格好そのままのトサカヘアのハードコアパンクス見ました。で、私のほうを見てニコニコと手を振るのです。なんでだろうかと考えて少しして分かったのは、私がヴェルベットアンダーグラウンドのバナナジャケットのTシャツ着ていたからだったようです。ディスチャージは(確か)1枚、クラスは2枚レコードを持っているはずですが、もう20年聴いていません。理念は当時賛同するものはあったのでしょうが、音楽としては合わなかったです。渋谷陽一ってまだ活動しているのですね。渋谷陽一、中村とうよう、大貫憲章、鳥井賀句とか、久しく名前を聞いたことがなかったです。
投稿: ひゅ~ず | 2008/03/19 23:24