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2008/03/25

「10年後のマンホールチルドレン」を見ての深い疑問

 NHKで、モンゴルでのマンホールで暮らす子供たちの成長を10年間にわたって追ったドキュメンタリーが放映された。
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【1】10年前:
日曜スペシャル「マンホールチルドレン~混迷するモンゴルからの報告~」
チャンネル:BS1
放送日:2008年 3月22日(土)
放送時間:午後10:00~午後11:00(60分)
番組内容:-飢え・寒さ・暴力・街をさまよう子供たち- -深夜の収容作戦-(1998年4月19日放送)

【2】4年前(6年後):
BSドキュメンタリー「マンホールで大人になった」-再訪・厳寒のモンゴル-
チャンネル:BShi
放送日:2008年 3月12日(水)
放送時間:午後8:00~午後9:30(90分)
番組内容:1998年社会主義崩壊後の混乱のなかで貧しくマンホールで暖をとって暮らしていた子どもたちのその後を2004年にたずねたドキュメンタリーシリーズの第二弾

【3】今年:
ハイビジョン特集「10年後のマンホールチルドレン」
チャンネル:BShi
放送日:2008年 3月13日(木)
放送時間:午後8:00~午後9:50(110分)
番組内容:10年前、社会主義崩壊後の混乱のなかにあったモンゴルで、貧困のため、マンホールで暮らしていた子供たちのその後をたずねたドキュメンタリー。
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 興味のある内容だったので録画し、時系列順(【1】【2】【3】の順)に見た。非常に興味深い内容だし、感動も衝撃も受けたがそのことはここでは記さない。

 番組を見ていて強く疑問に感じたことが2、3ある。

[1] どのような経緯で「6年後」から「10年後」の間に、ボルトとオユナは結婚し、生活が乱れ、ボルトは母妹を追い出したのか? それに番組スタッフは関わっていないのか?
 4年前(6年後)の【2】の番組内では、ボルト、ダシャは友人関係を保っていたが、彼らとオユナは没交渉で、まったく関わり合いのない生活であった(と思う)。番組内では彼らとオユナの交流はまったく描かれなかった。
 しかし、【3】の番組では、4年前にボルトはオユナと結婚し、オユナをかばうために母と衝突し、(あれだけ大切にしていた)母と妹を追い出す。その後、ボルトはオユナと娘と別れ、家を追われ、建設作業の職を失いマンホール(ホームレス)に戻った。
 そのボルトとオユナの4年前の再会から結婚に至るエピソードは、非常に不自然なことにまったく番組内では触れられない。その4年前というのは【2】の番組取材のあった年だ。【2】の番組の取材時に取材陣が、(それぞれの消息をお互いに知らせることにより)ボルトとオユナを引き合わせ、結果的にボルトの家庭崩壊を導いたのではないのか。

[2] オユナがダシャと一緒に故郷の町に帰るときの状況は?
 【3】の番組は救いようがない展開を見せる。その番組の最後に、オユナがダシャに説得されて、旧正月の前日(2月7日)、オユナの故郷の町の叔母の家に帰る展開となる。
 彼らの移動はバスでもなければ列車でもなく、ワンボックスの後部座席だ。取材陣の車で彼らを運んだとしか思えない。番組の取材は、2008年2月8日の旧正月の朝、マンホールで起きるボルトの姿で終わる。つまり取材終了日ぎりぎりのタイミングでの帰省だったのだ。あまりにも暗く未来のない展開で終わらせることができず、何らかの光明を見出すことができる展開をつくるために、通常の取材の便宜を著しく超えてオユナとダシャを彼女の故郷まで運んだのではないか。そうだとすれば過剰演出ではないのか。

 上記以外にも、演出とまでは言い切れないが、取材陣がセッティングした出会いやオーバーコミットではないかと疑われる箇所がいくつかある。
 ドキュメンタリーは好きだが、正当な取材に基づかないもの、取材陣に不利な情報を開示しないものは受け入れられないし、そのような疑問を抱かせた時点で報道作品としては負けだと思う。

※【3】の番組は、3月29日(土)午後10:10から再放送される可能性があるようです(BS1のようですが放送時間が合致しないのではっきりしません)。

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コメント

1)の疑問の破綻の理由については、オユナを庇う為に母親と妹を追い出したものの、二人きりになってみれば今度はオユナと喧嘩の毎日となった、家出をしたオユナはダシャの元に行き(その時ダシャは既にボルトの家を出ていたのか、三人で駆け落ち状態だったのか、は説明は有りませんでした)、結果としてボルトとダシャの友情を破壊することになった、との説明及びボルトの述懐はあったような気がします。三回の放映を見た限りではオユナは家庭にはそぐわない人物であるように思え、以上の成り行きは、有りそうな事と納得しました。私がより気になったのは、ボルトが土地と家を無くした理由はともかく、何故あれほどにまで打ち込んでいた建設業の仕事を失ったのか、です。2話に明るい部分があったとすれば、建設の仕事に希望と自信と持ち始めたボルトの姿だと思うからです。家は失っても仕事さへあれば・・・。2)については取材陣のスケジュールあわせとまでは考えが及びませんでしたが、二人の映像のみで娘が映ってないのは不自然に思いました。娘を育ててくれる叔母さんとはダシャの姉妹?、自分の娘に執着を持つオユナにとってそれはないはずですが。
私も第一回目をたまたま目にした事からのめりこんで一度づつ見ただけですから、記憶違いがあるかもしれませんが、すばらしい力作であることには間違いないと思います。放映された内容そのままを映画化するだけでアカデミー外国語映画賞が取れるほどのストーリー、描写ではないかとさへ思いました。が、仰るとおり、その分出来過ぎ、不自然さ(取材のタイミングが良すぎる、カメラや照明の前で素人があのように自然に振舞えるのか?)も感じなくは有りませんが、それは私にとってはどちらかといえば大きな問題ではありません。何にせよ第3話は救いがありませんでした。現実なのだから仕方がないのですが、今後が大いに気になりました。何年先のことかは分かりませんが。

投稿: 原敬 | 2008/03/30 20:48

原敬さん、こんにちは。書き込みありがとうございます&すごいお名前ですね。
重複している書き込みの片方は削除しました。

[1]で特に疑問なのは、まったく交流が途絶えていた(と見受けられる)ボルト、ダシャ二人と、オユナの交流が復活したきっかけ、経緯です。非常に面白いトピックなのに番組内では詳細を明らかにしないことと、4年前という偶然とは思えないタイミングに、強い疑念を感じています。
[1]、[2]の疑問を含めて、このシリーズ、特に【2】、【3】は番組主導による過剰演出が多かったように感じています。ボルトの母親探しでも、ゲルが何軒か入っている敷地に入り、見つからなかったときにボルトがカメラ(カメラマンまたはその側にいるスタッフ)に向かって、「たしかにここだろ」(というふうに)と聞くシーン、その後、帰って泣いたのは番組のワンボックスの中。この母親探しも番組側のセッティングと思えます。
この種のドキュメンタリーでは、取材される側とは一定の距離を保ち、演出のために過度の便宜などは与えないものです。また、そのような便宜を与えたならば、放映番組内でちゃんと宣言するべきです。そこがいい加減に見える上に、番組側の干渉で取材対象のボルトが不幸な境遇に追い込まれたのではないかと思えてなりません。

ただ、これらを差し引いてもこのシリーズは素晴らしいものです。特に10年前の【1】、4年前の【2】は感銘を受けました。でも、【3】の絶望的な内容、最後のとってつけたようなインスタントな明るい展望、そして演出とか干渉をする割にオユナに対する暴力を止めず撮り続けるという番組の姿勢など、強く疑問に感じる箇所が多かったです。

投稿: ひゅ~ず | 2008/03/30 21:51

なるほど、【3】の指摘については私も同感です。
もっとこのドキュメンタリーについて色々な感じ方、意見を聞きたくてネットを探すのですが、案外見当たりません。BS枠がネックだったのでしょうか。語るべき価値のあるものと思うのですが。ひゅ~ずさんのブログにさらに多くの方々がこの番組について見解を寄せられることを期待しています。

投稿: 原敬 | 2008/03/30 22:37

ひゅーずさん、はじめまして。
私も再放送の【2】【3】と続けて観て深い感動と共に絶望を感じました。
今も脳裏に様々なシーンが焼きついており是非【1】を含め続けて観たいと、ネットを探し続けておりました。

不躾なお願いで大変恐縮ですが、未だ録画を残しておられるようでしたら是非譲っていただけませんでしょうか。

宜しくご検討の程、お願い申し上げます。

重ねまして、勝手なお願いばかりのコメント、お詫び申し上げます。

tash

投稿: tash | 2008/04/05 17:49

はじめまして。私もこの番組を見て感銘を受けたものの、一抹の疑問を感じております。
私の場合は【2】において、オユナの元夫がなぜこのタイミングで我が娘をオユナに会わせようと思ったのかと言うことです。農場を経営していて安定しているなら、1年以上も音信不通だったのに会わせる理由がありませんしマンホールにすんでいるオユナに連絡するすべすらないはずです。これは明らかに番組が仕掛けたものだと思われます。

投稿: dao | 2008/05/08 01:50

はじめまして。

昨夜、BS2で拝見しました。
1と2。最後に10年後の映像を少しだけ番組内で放送しました。
私もひゅーずさんと同様、素晴らしいドキュメントであることを認めつつも過剰演出であること感じていました。
まず、dao さんと同じことを疑問に思いました。
マンホールに暮らすオユナと元夫&娘との連絡手段が分かりません。
1年ぶりの再会シーンでも、オユナはバン(車内)に誘導しようとしています。
その映像から、日本側スタッフとの馴れ合いを感じさせます。
再開セッティングは日本側でされたのだと思います。
3については、少ししか流れませんでしたが、ボルトとオユナが結婚したことに驚きました。
(やはり、何らかのセッティングが有ったように思えます)
さらに、ダシャとボルトの絆が壊れたこととも無関係では無いように思います。
なぜ、ボルトが土地所有者から追い立てられ…
なぜ職を失い、家族と別れたのか。
少しの映像と説明だけで語られなかったのですが、
意図しなくても取材と無関係とは思えません。
(度重なるカメラや通訳による取材攻勢が地元民から目立たない訳ありません)

マンホールチルドレンについてを伝える貴重な映像であることは事実ですが、取材を受けていた家族の運命を変えることになった気がします。
そのことの功罪が問えるとは思いませんが、豊かな日本の無神経とも思える取材姿勢が彼らの運命を変えたことだけは事実かも知れませんね。

投稿: 元気 | 2010/02/06 07:10

取材と演出。厳しい問題ですが、実際どうなんでしょうか。
私は再々放送かと思います。2010年2月5日にBSで見ました。
朝青龍の引退ニュースに戸惑っていた時でしたが偶然見たモンゴルの
マンホールチルドレンの様子に驚くばかりでした。
ボルトの2回目の充実した内容と3回目の番組でのショックな結末に驚くばかりでした。
おっしゃるような手配が取材側にあったとすると、気分が悪くなりますね。
いずれにせよ、モンゴルの実態の一部。
価値観の崩壊をかの国に見たような気がします。

投稿: Empizzo | 2010/02/07 01:43

僕も2010年2月5日にBSで、初めてみました。
かなりの衝撃を受けました。(コッチビよりはマシか)

オユナ2010年2月5日にBSは、最初の夫~ボルト~ダシャと3回結婚
みなさんがお書きのように、特にボルト~ダシャっていう
のが非常に不可解です。しかも再放送ではごく簡単にしか
放送がありませんでした。
どうにも納得がいきませんね。

それともう一つの疑問、オユナは貧乏には違いないでしょうが
マニュキアをしてたり、髪を一部染めてたり、酒を飲んだり
ずっと太っている・・等
これは出演料みたいな報酬が支払われたのか??
と勘ぐってしまいます。
確実に演出があると思いますが、ボルトの人生はこの番組の為
に大きく狂わされたでしょう。

ただ、そういった点を差し引いてもこの番組は衝撃的でした。できれば、もっと詳しい説明をして欲しいですね。

投稿: Kamerot | 2010/02/17 22:32

NHKで再放送があるたびに、この記事へのアクセスが上がります。また新たに、ここにご自身の意見、感想を述べられる方も現れます。この記事を読んでいただき、ありがとうございます。
ただ、私自身にとってはすでに2年も前に見た番組であり、その時この文章を書いて以降、この件を積極的にフォローしているわけではありません。このため、新しい書き込みへの返答などは行わない(行えない)と思います。お許し下さい。

ただし、この記事自体へのコメントは、特に常識を欠いたものでないかぎり制限(削除)はしません。ご自由に書き込んでいただいて結構です。

投稿: ひゅ~ず@blog管理者 | 2010/02/18 10:01

はじめまして、ひゅ~ずさま。私も第一部から観ていて、このドキュメンタリーに非常な感銘を受けている1人です。このお正月についまた観てしまいました。大勢の皆様の感想が聞くことのできる、このようなブログがあることを嬉しく思います。
 
 私はモンゴルに暮らした経験があり、大体モンゴルの普通の人々と接していました。日本にいるモンゴル人の留学生ともこの番組について語り合いました。みんなこの番組を非常に興味深く見ています。もっとも留学生はモンゴルの富裕層、あるいは普通の家庭でもいわゆる真面目に勉強をしてきたエリート達なのでこの番組に自分達でさえよく知らないモンゴルを見て、かなりショックを受けていたようです。でもこのようなことがうそだとは誰一人言いませんでした。彼らも私もさすがにマンホールの中に入ったことはありませんが、モンゴルの貧しい人々の暮らしはほぼ事実だと思います。
 
 オユナの髪染めやマニキュアですが、モンゴル人は食べるものがなくてもおしゃれをします。洋服は家族や親戚、友達と共有、おしゃれもつてを使っていくらでもなんとかします。物は共有という考え方が普通です。家もみんなで、子供も誰の子でもたいていはみんなで育ててます。結婚も何回もします。きちんとしてないことが多いです。(エリートはちがいます。きちんとしています。)極寒の地ですから服だけは何とかして手に入れます。太っているのは食べ物に脂肪分が多いからだと思います。
 しかしそれでも確かに少しはお金を受け取っているのではないかと思います。

 皆様の思うとおり、私もだんだんちょっと関わり過ぎのような気がしています。でもボルトたちは番組のせいだとは思っていない(気づいていない?)と思います。たぶんにやり過ぎなのは日本人スタッフだけではなくてモンゴル側のスタッフの演出(モンゴル人は言い意味でも悪い意味でもけっこうおせっかいなところがあります。)もあるのではないかと思います。そして社会に見捨てられたボルトもオユナもダシャも、正直自分と関わってくれて嬉しい気持ちもあると思います。
 ここまで関わるなら、テレビ局は最後はあのボルトの家を買い取ってあげたら?とさえ思います。というか少なくとも報道の力でボルトの母と妹を見つけてあげたらよいのに、と思います。

 留学生達は考えさせられる番組だと一様に、帰国後はモンゴルのためになることを考えたいと言ってくれました。

 一般的にモンゴルの普通の家庭ではやはりマンホールに住む人間には近寄らないようにしています。
 私が一番腹立たしく、そして哀れに思うのはオユナです。男の子はマンホールからでも脱出できるけれど、女の子はマンホールで暮らしたら一生抜け出せないと、モンゴル人が言います。貧しい家庭では、頭がよいなら女の子を大学に入れ、いい仕事に着くか、よい結婚をさせ、男の子はなんでもいいから仕事をさせることを選ぶそうです。

 私はボルトはこのままでは終わらないと思います。お酒にさえ近づかなくて、せめて母と妹と再会できれば・・・・。
 やはりテレビ局、ここまで関わるなら探してあげなさいよ!と思います。そのやらせは特別に認めたいです。私は報道ドキュメンタリーの姿勢については詳しくはありませんが、人一人の人生に関わるのなら、せめて良心的であってほしいです。

 ものすごく長くてすみません。

 
 

 
 
 

投稿: unsh | 2011/01/04 15:53

昨日、モンゴルから帰ってきました。
はじめまして、ひゅ~ず様。
まず、最初に断言しますが、NHKからの取材報酬は一切ありませんでした。
どうして、そんなことが言えるのか?
それは、私が、余りに感動し、ボルトさんとダシャさんに会いにモンゴルまで行ってき、会ってき、その点を確かめたからです。
ただし、わざわざ確かめたのではありません、そういう話の流れになったからで、今日、初めてこういうサイトの存在することに驚き、いえいえ、そこに話の本質があるのではないの、と涙ながらに訴えたいです。

今から仕事があり、もう書けません。
私はこの件をFACEBOOKに2-3日以内に書き込むことになると思います。
また、クラウドファウンディングの立ち上げも考えています。

そうなのですね、本当にこのサイトに出会ってよかったです。
そこだったのですね、皆さんの疑問は。

私は日本語教師としてナッチャン=ボルトさんの娘さん:ナッサンに日本語を教え、日本留学を後押ししようと申し出ました。

ボルトさんの家に伺いましたが、蠅だらけ!!の(多分100匹以上いる!!!)屋根も一部なくて雨漏りするコップもない家=ゲルでした。
しかし、もっと経済的に困窮しているのはダシャさんの方で、この番組のせいでバッシングまで受けて、今、書いていても涙が出そうになります。
(ダシャさんは、このたび2018年の取材は強く断ったのですね、全く断っていればよかったのに(T_T)

今から私は動きます。
皆さん、どうかご協力をお願いいたします。
私は里親に登録している者で、ナッチャンかボルトさんと養子縁組まで考え、ダシャさんとの養子縁組まで思いついたけど、夫から反対されたので、何とか彼らを日本に呼ぶ手立てはないものか?親族ビザ以外に・・・・と、帰りの飛行機の中で初めて文化専門ビザがあるじゃないか!!と。

水が水道をひねって出てくる文化的な生活をしている者に彼らのすさまじさはわかりません。そう、きっと、私も根本的にはわからない凄まじいものがあるでしょう(ナッチャンの環境を聞いて、本当にここでもどれだけ驚いたか!中3になると言うのに、THISもPENも知らないからTHIS IS A PENもわからないの(T_T)その理由を聞くに至って私は本心ショックを受け、今、書いていても、やっぱり涙が出てきます。私達の想像の遥か遥か及ばないすさまじい理由ばかりを彼らはかかえ、ものすごい中で生きて(やっと生きて)います。

本当に泣けてきた。
どうしよう、仕事!!!!!

投稿: さち | 2019/09/03 09:33

今、仕事が終わりました。
私の仕事は日本語教師で、ネットを使って日本語を海外の人達に教えています。

まじ、泣いちゃったよ、号泣(T_T)(T_T)(T_T)

授業開始時間は既に2分過ぎていて、始まって即大泣きしちゃいました(T_T)
くやしくて。
悲しくて。

でも、逆に、これで、私の情熱を確認することができたことをここに皆様に感謝申し上げます。
これから、彼らを文化・専門ビザで招聘することができないか、確認し、できるなら、その方向で本気で動くつもりです。

ダシャさんは、腰も痛めて、本当にもう、身体もボロボロです。
だって、当たり前でしょ、毎日、何トンものゴミを運んでるんだよ!
今回の旅行で15KGの荷物をコロコロで運んでても疲れるのに。

あなたの20Kgの荷物にコロがないの、その1倍か1.5倍の荷物を毎日10こで200Kg、100個で2トン。400個で8トンだ。
それって、ダンプカーのする仕事だから。
機械でも毎日やってたら摩耗するから。
人間の身体だと、もう、ガタがきちゃうから。

既に腰とか痛めてるって。
当たり前だ。
だから、動けなくなる前に日本に二人そろって来てもらおうと思って。

ダシャさんは給料の前借までしてるの。
だからね。
恥を忍んで、援助してもらいたいって言ってきた。

もちろん、私達、お土産とか上げたよ。でも、今回、ナッチャンの日本語学習支援の為だったから、ダシャさんのことは、そんなに考えてなかった。第一、明日奥さんが手術ってことも知らなかったし。
そのことを最終日の最後数時間で通訳から告げられて、すぐ来てもらって、援助を申し出ました。(多分、ボルトさんからも借りてるんじゃないかな)

そんなに困窮してるの、ダシャさんもボルトさんも。

私は今週中に弁護士に会って法律的なことをクリアにして、彼等に確認し、私の最後の人生を賭けてこの今回思いついたことを実行に移してみようと思う。
このサイトの方々にもしお目にかかれるなら是非お目にかかりたいです。
もし本当に実行に移していくなら、再びモンゴルに行くことになるのか?

とにかく、問題の本質は、申し訳ないですが、そんな所にあるのではありません。

投稿: さち | 2019/09/03 10:48

今、弁護士無料相談から帰ってきて上を読んだら・・・今いち、意味わかりませんね<m(__)m>

まじ、泣いちゃったよ、号泣(T_T)(T_T)(T_T)

が急に書かれていますが、1投稿目、書き終わって?送信して、スカイプで授業開始したら、学生の顔を見るなり、泣き崩れてしまったのです。
投稿してる時も気分が高ぶっていて、1週間ぶりに学生の顔を見たら、感情がほどけてしまったのか、よくわからないのですが・・・。

私もよくわからないこと、読まれている方々は更にわからないですよね、すみません。

弁護士は、ビザ関係のそういうことは司法書士・行政書士の分野なのでよくわからない、入管に訊いてくれと言われました(T_T)
入管かけてもかからないので弁護士と思ったのでしたが・・・。

でも、文化とか専門では遥かになくて、短期滞在しかあり得ないことは理解できてきました。
でも・・・。

とにかく、ヤラセハはなく、報酬ないどころか、お寿司の一つも食べさせてなかったです!!!!!
ラーメンとかは、あったようですが。。(T_T)

ダシャさん、通訳から頼み込まれて今回の2018年の取材をいやいや受けちゃったけど、本当に後悔してた(どうしても通訳の人とは仲良くなっちゃうから、頼まれたら嫌とは言えなくて・・・なんだよねー。だけど、職場でそんな嫌がらせまで受けて、本当に迷惑千万って感じだった(+_+)

「今回思いついたこと」は、(やっぱり)難しいことがわかってきました<m(__)m>
でも、私は何かを始めようと思っています。

もし、可能なら是非皆さまと(お目にかかり、)ここの部分こうだよって詳しく伺いたいし、私も私の知ってることをお話させて頂きたいです。

簡単に言えば、どうか、皆さんのお志をお願いしたいのです。
私達にあんなに大きな感動を与えてくれた彼等は、撮影によって迷惑まで被り、援助は一切もらえませんでした。

日本の災害時にモンゴルから大きな支援を受けたことを思い返すにつけ、あんな収入の低い国が高額の寄付を、こんなに高収入の国が一切寄付援助なし(迷惑は被ったけど)。

どうやったら、彼等に大きな支援の手が差し伸べられるか、ない頭をフル回転し考えています。

「感動するなら、カネをくれ」
ボルトさんはそう言わなかったけど、私も今回ので、NHKに受信料を支払いました、そして、なっちゃんにiPHONをあげ、日本語のモンゴルバージョンのテキストも買い与えました(これだって!郵送ひとつ、できないんだよ!!!!住所に届かないから、バスの運転手さんにお金を渡して届けてもらうんだって!!!!!
私はいちいち心底驚かされました)。
そしてダシャさんにはお見舞い金とパソコン。

私達は生きるという意味を、力強さということを彼等から教えてもらったので、その授業料を支払っていいと思う。

より、多くの人達に広く援助を求めるのに、どうしたらいいか、どうかお力をお貸しください。
そして、動くのは、今度は、私達、だと思う。

投稿: さち | 2019/09/03 17:56

はじめまして。今日初めてこの書き込みに出会いました。
私ももう15年以上前に知ってから、マンホールチルドレンのことが気になっていて、昨年のBS放送見つけた時には、感動で震えました。
15年前にはとても支援などできる余裕もなく、自分にできることはないのか?心が痛いばかり。動きたいという衝動はあっても、何もできないままでした。自分の子どもや孫、周りの人たちには伝え続けて来ましたが、今の彼らがどうなのか知らない頃は、不安もつきまといました。
この書き込みに出会って、この中で会話されている内容に、とても意義を感じます。

特に、さちさん。今現在はどうされていますか?
ぜひお目にかかり、その後のことを聞かせてもらいたいと思って、書かせていただきました。
連絡取れる方法はあるのでしょうか?

投稿: ピロコ | 2021/02/23 14:46

何回か書き込みをされた、さちさんのところかははっきりしませんが、ボルト、ダシャとコンタクトを取っている(サポートしている)と思われるサイトはあります。あくまでも情報提供としてですが、ご参考までに(私はコンタクトを取っていません)。
https://www.mongoliakidshome.com/

投稿: ひゅ~ず | 2021/02/25 17:37

ひゅ〜ずさん、情報ありがとうございました。

投稿: ピロコ | 2021/03/03 00:54

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