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2006/09/27

映画:武蔵野夫人

映画:武蔵野夫人

今日も恵比寿。でも、ここの溝口特集に来るのも、あと1回かな。

この映画も初見。途中まではハズレかと思ったけど、そうでもなかった。ただ、面白いというより、興味深い話だったな。

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 太平洋戦争終戦直前とその3年後、武蔵野を舞台にした、大学教授の妻とその従兄弟の愛、夫の浮気などが繰り広げられる物語。
 撮影された1950年頃の武蔵野は、緑、水豊かな高原地帯のよう。木立から木漏れ日、小径の散歩、大きく広がる田畑。野川、村山貯水池と呼ばれていた狭山湖や、湿地帯の恋ケ窪。どれも今の姿からは考えられないような大自然だ。モノクロだけど、美しさは十分伝わってくる。
 武蔵野の地を慈しむ若い従兄弟。彼は、武蔵野への愛とともに田中絹代演ずる年上の従姉妹の愛を求める。女は、彼への愛を感じながらも、自分の価値観で自らを律し、夫の謀略から家を守るために死を選ぶ。
 封建的な縛りの中に終始する話にも思えるが、それを越えた普遍的なものを感じる。古い価値観に縛られているのではなく、それを分かりつつも自らの選択としてそれを選ぶ意志。苦からの脱出としての死ではなく、なにかを守る、、、この場合「家」を守るため、攻撃として死を選んでいること。
 そして最も考えさせられたのは、従兄弟にあてた田中絹代の最後のモノローグ「武蔵野ではなく、人々が生活を育む東京にこそ価値がある。武蔵野や私に対する想いは心のなかの郷愁でしかない」という言葉だ(←記憶がいいかげん。正確にはこう言ってはいない)。

 小学校低学年時代、私は町田にいた。昭和40年、住宅街を外れると田畑や林がたくさんだった。わき水の出る小池、ザリガニたくさんの小川。映画ほどではないが、武蔵野の豊かな自然が残っていた。今そこは一面の住宅街。田畑も林も残っていない。私もこのような里山の自然、また山陰の田舎町の姿に強い郷愁と愛着を感じる。
 そのような場所は残っていないか、残っていても自分の居場所はなくなっている。失ったからこそ美しく、愛を感じるのだ。あのモノローグは、自分の痛いところを突いた言葉だ。
 そのようなものに囚われることなく、今を一所懸命に生きなくてはならない。しかし、それと同時に、自然を潰して出来た、個性も美しさもない住宅街。人に優しくなく健康的でもない東京。これにこそ価値があるとは、とても思えない。
 なにが正しいのだろうか。私はどこに進めばいいのだろうか、、、。分からない。なんと言えばいいのだろう。でも、自分の将来が開けるわけではないけど、それを考えさせられる映画ではあったことは確かだ。

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