アレルギー
『アレルギー ラスト・ライブ・アット・新宿ロフト -1984.10.27-』を購入。
友人(荒木君(Dr))がいたので何回も見に行ったバンド。
早稲田大学のロック系サークルERFから出てきたバンドだ。ただ、早稲田だったのは宙也さんだけのはずだ。北海道から家出同然で出てきたベーシストのU子さんは、美術大学のデッサンのヌードモデルとかをして暮らしていたはずだし、ギターの小野さんは働いていたはず。荒木君はプログラマーとして働いていたのかな。
高音でシャウトする宙也さんの唄い方は特に好きなボーカルではなかったが、唄い方、しぐさを含めて強烈な存在感があった。小柄でモヒカン刈りのU子さんのベースは女性とは思えないパワーとドライブ感があったし、荒木君のドラムは、叩いた瞬間の音圧が強烈ですごいインパクトがあった。
自主制作と徳間ジャパンあたりから3~4枚のレコードも出したし、ライブハウスシーンでは人気があったバンドだった。ただ、イカ天やバンドブームの始まる前で、少々人気があっても、これだけで喰っていくことが不可能な時代でもあった。
このラストライブ当日もロフトに行ったが、満員・チケット売り切れで入れない。裏口から楽屋に回って挨拶だけして帰ろうとしたら、「ここから入ればいいよ」と、楽屋口からタダで入れてくれた。
当時、新宿7丁目にあったロフトは、それほど大きくなかった。ライブ終演後の飲み屋の席配置では30~40人前後で、天井の低い店だった。
その日はそこに300人。通常のライブの場合、満員レベルで150人前後だったのではないだろうか。普通に立っているのも困難な通勤ラッシュ状態。途中、空気が悪くて気持ち悪くなり、ちょっと外に出て休んでいると、酸欠状態になった観客(主に女の子)が何人も運び出されて来た。でも、皆少し休んで正気に戻ると、また地下の空気の悪い会場に駆けるように戻っていった。
とにかく解散コンサートの盛り上がりとあまりの人の多さに圧倒されたライブだった。それがCD化されたのには驚いた。あれから20年経ったのか…。たしかこのライブを収録したビデオもあり、自主制作ルートで売っていたはずだ。それもDVD化してくれないものか。
アレルギー解散後、ボーカルの宙也さんはDeLaxをつくり、武道館でのコンサートまで行った。U子さんは、フランスで亡くなった。
荒木君はP-Modelに入り、その後脱退。3年ほど前に別な友人の結婚式で会ったけど、最近は連絡をとっていない。元気でやっているだろうか。
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